ゾンビ映画の歴史~”ゾンビ”前のゾンビを知る~
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ゾンビ映画の元祖をジョージ・A・ロメロ監督作品「ドーン・オブ・ザ・デッド(ゾンビ)」(1978)とお思いの方もいるのでは無いだろうか。実は本作はゾンビ映画ブームの火付け役でしかない。 ロメロはこの10年前1968年にナイト・オブ・ザ・リビング・デッドを公開した。本作に登場するグール(ゾンビ)こそ現在のゾンビ像のベースである。死者が何らかの要因で蘇り、人肉を貪る。そして襲われた方もゾンビとなって次の犠牲者を増やしていき、彼らは脳を破壊されるまで死なない。この設定は本作で初めて固められた。 現代ゾンビ映画の元祖とは言えるだろう。なぜ”現代”と前置きをしたのか。そう、ゾンビ映画は1932年に初めて公開され、ナイト・オブ・ザ・リビング・デッドまでの36年間、全くの別物だったからだ。この間のゾンビは主にブードゥーの呪術によって創られており、術者の指示に従う忠実な奴隷だった。このようなゾンビを一部ではクラシックゾンビと呼び、対照的に現代のゾンビをモダンゾンビと呼ぶ。 本記事ではこの1932年から1968年までのゾンビ映画に触れていく。なお、ストーリーに関して極力ネタバレ無しを心がけているが、ゾンビの特徴について細かく記載しているため多少ネタバレ気味ではあるかも知れない。 ここに並ぶ作品群は私があくまでも素人目から見てゾンビ映画であると感じた物である。過不足あると思うが目をつぶって欲しい。 挙式のためハイチに向かったカップルは道中、ゾンビの集団と出くわす。彼らは呪術を使って操られており、砂糖工場の労働力となっていた。 元祖ゾンビ映画。本作でゾンビがスクリーンデビューを果たした。ゾンビの特徴としてはブードゥーの呪術により生前に液体(本作におけるゾンビパウダーの役割)を飲まされることにより一旦死亡。それが蘇ったもので意思を持たず操られるまま。本作では術者の腕が良く、割と器用に動く。喋るシーンはない。銃で撃たれてもダメージは無し。操る際に術者は印を結ぶ。術者が死ぬことによってゾンビは元に戻るが、その間の記憶は無い。 本作に関しては以前、記事を投稿しました。ネタバレになりますがよろしければ。 病に倒れ、瀕死となったモーランは生き返るために月光石を腕に巻いて死んだ。しかし墓に眠ったモーランの死体には月光石がない。誰かが盗んだと分かり、捜索が始まる...。 本作のゾンビに触れると大きなネタバレになってしまうので何も言えない。ただこれをゾンビ映画としてよいのか、とても迷ったとだけ伝えておく。 第一次大戦中、連合軍はカンボジアからゾンビを輸入して戦わせた。連合軍は自国でもゾンビを作る方法を知ろうとするが...。 本作のゾンビは、術者がゾンビパウダーを熱して出た煙を対象に嗅がせることによって生まれる。術者の指示を絶対遵守、銃で撃たれるくらいじゃ倒れない。喋ることができ、周りから見てゾンビとは分らない。これが重要で本作では権力者をゾンビに変え、人々を操ることに重点が置かれている。 操作方法は術者が念じるだけで、元通りになれと念じると元の人間に戻るが、その間の記憶は保持されている。催眠術に近く思えた。 殺人の罪をなすりつけられたエルマンは無実なのにも関わらず死刑となってしまった。その死体をボーモント博士は実験に使用し、エルマンを蘇生させてしまう...。 本作のゾンビはこのエルマンなのだが、彼は科学技術によって復活し、自由に動く事が可能。喋るが少し拙い(脳の腫瘍のせい?)。生前から変わらずピアノが得意。 脳の腫瘍のせいか生前の記憶、死んだときの記憶は無いが、自分を死に追いやった者が直感で分るようになった。この能力を利用して次々と犯人を発見しては「なぜ俺を殺した」と問い詰めるが、理由を聞く前に何らかの事故が起きて犯人は死んでしまう。もしかしたらこれも能力かも知れない。因みに銃が効く。 キューバ沖の島にある城を相続したマリーは、城に財宝がある事を知る。しかし島には幽霊が現れ...。 本作のゾンビ要素は大分薄く、メインは幽霊。作風が喜劇であることもありどこかコミカル。鎧を装備し、モーニングスターを持って襲いかかる。普段は寝たきりだが侵入者が現れると起き上がり排除に向かう。主人公らが様子を見てゾンビだと断定しただけで実際何者かは分らない。 キューバに向かう飛行機が悪天候のため、ある島に不時着。乗っていた3人は救助を待つ間、サングレ博士の屋敷に世話になるのだが、そこでは恐ろしい儀式が行われていた...。 本作も喜劇であり、それゆえにゾンビの設定が変わっている。塩がかけられると干からび、鏡に映らない特徴を持つ。作中でゾンビに料理をたべさせるシーンがあるが、もちろん塩抜き。 死者を復活させてゾンビにしたという台詞はあるが、その様子は明かでなく、催眠術の可能性も捨てきれない。襲われた人間がゾンビに食われそうになったと発言していた。 看護師のベッツィは富豪の夫人ジェシカを介護するためハイチの豪邸に招かれた。しかし病気と思われていたジェシカが実はブードゥーの呪いをかけられたゾンビで...。 本作のゾンビは2体おり、ジェシカとカルフールという名の男性。 ジェシカは操られるまで動かず、周りの人間はただの心の病だと思っていた。ブードゥーの設定をうまく生かしていると感心できる。ジェシカはゾンビだが、操作されていない時には普通の生活を送っているように思える。 介護されながらだが食事をし、睡眠をとる。歩くことも可能。ただ、刃物で傷つけられても血が出ない。彼女は術者がブードゥーの神に祈ったことでゾンビとなった。操作方法はジェシカに見立てた人形を動かすこと。 対してカルフールは目玉が飛び出しており、インパクトのある見た目をしている。主に門番として働かされていた。視覚が備わっている様子で、門を抜けるには通行証となる布が必要。術者が口で命令するだけで指示に従う。 マーロウ博士は死んだ妻を生き返らせようと女性を誘拐しては実験を重ねていた。ある日、ベティのいとこが行方不明になる。ベティは婚約者と博士の家を訪ねるが...。 本作には死んでから復活したゾンビと魂を抜かれてゾンビ化したゾンビの2パターンがいる。 前者はマーロウの妻であり、22年前に亡くなったのを蘇らせた。しかし肉体は蘇っても魂がそこにはなく、ただ虚ろな目をしているため、マーロウは若い女性の魂を妻の体に移そうとする。呪術師を呼んで実際に成功するものの、わずかな時間で元のゾンビに戻ってしまう。 呪術師曰く、適合者を見つければ魂が定着するらしい。ここで使用される女性こそが後者のゾンビ。ゾンビ状態になった両者に外見的な差は無い。本作のゾンビは呪術者でなくても割と言うことを聞き、襲いかかることはない。 本作で印象的なのは対象の持ち物を使って儀式を行うことでその対象をコントロールしてしまうシーン。こちらもはたから見ればゾンビと同じであり、非常に強力。 マーロウの妻を蘇らせた方法は明らかになっていない。また、術者が死んだことによって魂を抜かれた女性らは元に戻った。その間の記憶は無い。 NYのナイトクラブのオープンに向けて、本物のゾンビを捕まえにサン・セバスチャン島に向かうが...。 本作も喜劇。ゾンビの特徴はなんと言ってもそのルックスにある。「私はゾンビと歩いた!」のカルフールのように、ゾンビ化すると目が飛び出るので何ともポップ。 本作にはブードゥーのゾンビと薬品で創られたゾンビの2種が登場。博士がブードゥーのゾンビを見て、自分でも創ってみようと奔走する。 博士の屋敷にはコラーガと名付けられたブードゥーゾンビが飼われており、普段は棺桶にしまわれている。博士の声は遠くにいてもテレパシーのように感じ取れた。何でも言うことを聞いていたが、殺人を命令すると暴走し、博士に襲いかかる。 博士は人をゾンビに変える血清を開発した。注射器で血清を打たれると仮死状態になり、命令を聞くようになる。登場人物の一人が未完成の血清を打たれ、ゾンビとなったのだが、しばらくすると元に戻った。その際、記憶は無く、受けた痛みも消えていた。 ある日、UFOが地球にやってきた。そしてなぜか死者たちが復活し、人々を襲い始める。宇宙人の目的とは...。 本作は宇宙人が死者を電気銃でコントロールし、ゾンビ化させるという奇抜な設定。内容は褒められた物じゃ無いが、この設定とゾンビの容姿だけは凝っている。 ここにきて初めてイギリスが舞台。ロンドン大学医学部のフォーブス教授は、イギリスの小さな町で開業医となった教え子ピーターから手紙を受け取る。町では原因不明の流行病が流行っており、次々死者が出ているという。それを読んだフォーブスは町へと向かうが...。 吸血などとタイトルについているが本作のゾンビに食人要素は無い。本作でクビを落とす退治法が確立され、後のゾンビ映画に影響を与えた。また、ゾンビに変容する演出も凝っており、これも同じく。術者が対象の血を生前に採取し、呪い殺すことでゾンビを作り出す。 墓参りの途中、ゾンビに襲われたバーバラと兄のジョニー。倒れた兄を置いて民家に駆け込むとそこには他の生存者らが隠れていた。やがて周囲はゾンビに囲まれ...。 前置きに書いたとおり本作ではゾンビが人肉を貪る。そして襲われた方もゾンビとなってどんどんと数を増やす。彼らは脳を破壊されるまで死なない。光や火を嫌い、多少の知能があって道具を使える個体がいる。作中において放射線によって脳が侵されたのではという疑いがあったが、結局のところ原因は明言されていない。 上記のプラン・9・フロム・アウタースペース、吸血ゾンビ以外の10作を収録している。 こうしてまとめてみるとクラシックゾンビ映画はゾンビ要素がメインでない作品が多く感じる。恋愛+ゾンビ、コメディ+ゾンビのようにゾンビが添え物な印象で現代の作品群とは対照的に思えた。そして催眠術と密接な関係を持っている。現代のゾンビ映画しか知らない人が観れば新しい設定と思うのではないだろうか。ゾンビの集客性に頼っていないため脚本がよく練られており、現代の中身のない量産作品とは違う。 クラシックゾンビ映画でゾンビそのものはあまり恐れられておらず、術者及び死後にゾンビ化されることに対する恐怖が強調されている。ナイト・オブ・ザ・リビング・デッドはその点において革新的だった。ゾンビそのものに焦点を当て、カニバリズムを追加することによって人々の恐怖の対象をゾンビに向けた。さらに感染という要素によって今までこぢんまりとしていた作品の舞台を大きく広げることに成功。ロメロの功績はあまりにも大きい。前置き
作品紹介
1930年代
1932年 恐怖城
1933年 月光石
1936年 ゾンビの反乱
1936年 歩く死骸
1940年代
1940年 ゴースト・ブレイカーズ
1941年 死霊が漂う孤島
1943年 私はゾンビと歩いた!
1944年 ブードゥーマン
1945年 ブロードウェイのゾンビ
1950年代
1959年 プラン・9・フロム・アウタースペース
1960年代
1966年 吸血ゾンビ
1968年 ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド
これらの作品を観るなら
総括